私のでた前回の番組映像を見て、光田氏は、「飼っているタランチュラを持ってきてもらい、 それで実験をして映像を撮りたい」と電話してきた。どうやらクイズの問題に使う魂胆らしい。 冬場であり、タランチュラの移動には気を使うこと、犬猫と違って思うとおりに芸を仕込める 相手ではないというリスペクトをもって考えてほしい、タランチュラを恐ろしげな「恐怖の毒 グモ扱い」しないでほしい、という当たり前の原則をお伝えし、 「クモを理解してもらうためなら」と承諾する。クモゼミは遊びの集まりではなく、まじめな 研究報告のための集まりなので、この機会にタランチュラの生態についても報告を、と思い、 仔グモの共同捕食生態が観察されたHysterocrates属(和名:コソダテヒヒツチグモ属) のタランチュラと、依頼のあった「実験」につかうべく チャコジャイアント・ゴールデンストライプ (Grammostola aureostriata)とを持参する。
動物番組のTV撮影というのは、基本的にはドキュメンタリーであって、自然な姿をとろうとするの だ、という風に思ってきた私は、どうやらとんでもない誤解をしてきたらしい。光田氏は、 ゼミメンバーの到着そうそう、「段取り」を伝え、あれしてください、これしてください、 こんなコメントを言ってください、と忙しい。われわれは役者やタレントではないので、 そんな要望に大いに戸惑う。まぁそれはそういう番組であり、そういう撮影姿勢なのだ、 と割り切れば、人間がどう扱われるかは、あきらめがつく。今回疑問もあり、申し訳ない 思いさえしたのは、クモたち自身に対してである。
ゼミのなかでは、1時間以上をさいて、光田氏からの要請で「実験」を行った。番組のテーマ は、「映画スパイダーマンがらみ」ということで、スパイダーマンの能力である ビルのガラス壁に 張り付いて登る能力は、実際のクモにもあるか、という実験だ。ご存知のとおり、家に出没す るハエトリグモやアシダカグモはガラス窓にはりついて容易にその上を走る。しかしクモに よっては、滑りのよい壁をよじ登れないものもいる。そんなクモの「よじ登り合戦」のような 映像を撮りたいとおっしゃる訳だ。まだ寒い晩冬のことである。撮影に使えるようなクモの成体 を採るのは容易ではない。そこを、「クモを理解していただくためなら」と、数日をかけて、 あちこち探し、私の近所では豊かな生態系で知られる千葉 利根運河の里山で、ナカムラオニグモ成体、ネコハエトリ亜成体を見つけ、さらに自宅で飼育しているタランチュラの成体♀と幼体 とを持ち込んだ。さらに、当日、ゼミ会場の近くの公園で、越冬中のイオウイロハシリグモを採集、 これも実験に加えた。
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チャコジャイアント・ゴルデンストライプニー |
ナカムラオニグモ |
![]() ネコハエトリ(画像は♂。実際使ったのは♀) |
![]() イオウイロハシリグモ |
番組スタッフはガラス板、アクリル板などを持参し、これを壁に立てかけて、いろいろなクモを よじ登らせる実験をすることとなった。一般に、「造網性のクモは、徘徊性のクモよりも滑らかな 壁に登るのが下手である」と言われてきた。一同の予想どおり、ススキの茎などに隠れ家を作り、 円網を張るナカムラオニグモは、ガラス壁をまったく登れなかった。板の中央に置いて、板を傾け ていくと、お尻を瞬時にガラスにつけて粘着糸で固定し、そこから「しおり糸」を引くので、 まっさかさまにガラスを転げ落ちることはなかったが、坂をよじ登ることはできなかった。
家の壁でちょくちょくみかけるハエトリグモは、思いのほか、綺麗に磨いたガラス壁では苦労した。 それでも、数回に一度失敗する以外は、壁をちょこちょことよじ登っていった。同じ「徘徊性」で も、ハシリグモは、まったくガラスに登れなかった。徘徊性といっても、主に地上で暮らすグループ (ハシリグモ)と、樹上で暮らすグループ(ハエトリグモ)の違いだろうか。
一同の度肝を抜いたのは、タランチュラ。成体のサイズは他の国産クモに比べ、ずば抜けて大きく、 体重は35グラムもある。幼体でも体長は親指の第一間接ほどあり、今回の実験につかった他の クモよりも太っている。それらが、なんといとも易々とガラス壁を登ったのだ。しかも、幼体に 至っては、ガラス壁をさかさまに水平にして(つまり天井状態で)も、まっさかさまに張り付いた まま。手のひらほどのサイズもある成体でさえ、90度以上の角度にまだ耐えた。TVカメラでガラスの 裏側から接写した脚の付着面は、非常に小さな面積で、どうしてこんな小さな面積で大きな体を ささえられるのか、直感的には、みな首をかしげるほどであった。
![]() ガラス壁をよじ登るタランチュラ(自宅で再現)。脚先の接している 面積は2〜3平方ミリ程度の、ほとんど爪先立ちである。
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さて、この驚きの「壁登り映像」であるが、一度の実験ではカメラ撮影が終わらない。いろんな 角度から、そして接写と、何回も何回も「もういっかいだけお願いします」が続く。ハエトリグモは またたくまに弱って、ついには登れなくなってしまった。タランチュラ幼体も、やがて弱って登る 気力をなくした。理由は明らか。カメラ用ライトの熱である。クモは、変温動物だから、ライトを 当てれば当て続けた時間の分だけ体温が上昇する。本来夜行性であるタランチュラはもちろん、 昼行性であるハエトリグモだって、日陰のない灼熱のもとにさらされれば、短時間で、活動でき ない高温度に達する。
こうして、かなりの極限状態に至るまで、行動の記録をTVカメラに収めるために、クモたちを 協力させた。ドキュメンタリー屋なら、一回きりの行動をカメラに収めねばならないのだから、 動物相手に無理をさせて、ここまで人間に親切に繰り返しておけば、大丈夫だろう、と思った。 光田氏からもOKが出て、一安心。
クモゼミは酔狂でクモに演技をさせて満足する遊び集団ではないから、ここまでクモにがんば ってもらった以上、「壁登りの謎」について、科学的にも何らかの検討をしよう、という話し合い になった。クモの脚先には、アマガエルのような吸盤はない。だから、空気圧で張り付く吸盤 式ではない。ハエトリグモについては「末端毛足」という細かい毛の束の構造が知られており、 どうやらこの構造が「滑らかな壁にも張り付く」決め手らしい。だが、なぜ毛の束がガラス壁に 吸い付くのか? 一つは「ひっかかり説」。ガラスといえども小さなでこぼこがあり、そこに こまかい毛の先が引っかかる、というもの。もう一つは、なんらかの「吸着作用」説。つまり、 静電気か、薄い水の膜などが毛の表面に発生して、それとガラス表面との間に引き合う効果が 生まれるというもの。物理的な「吸い付き」の正体はいまいちはっきりしないが、「細かい毛の数」 が決め手でありそうなことは、一同合意した。
以前、タランチュラの刺激毛の微細構造を電子顕微鏡で確認しようと、
個人で電顕を所有しておら
れるクモ研究者・梅林さんにお願いしたことがある。タランチュラの脚先の「毛束」についても、
以前より是非見てほしいと願っていたところであったので、この際頼んでみましょう、ということ
になる。TVに提供できれば助かる、という光田氏の願いもあって、急いで梅林さんと連絡をとり、
毛の構造はそっくり保存されているタランチュラの脱皮がらと、実験でつかったクモとをお送り
する。そして、数日後、電顕の一時的故障のトラブルもあってずいぶんご苦労された梅林さんから
連絡をいただき、出来上がった写真を見にご自宅までうかがう。
結果は鮮明だった。タランチュラの脚には、爪を取り巻いて多くの毛が生えており、その毛一本
一本がかなり複雑な表面構造をもつようだった。ハエトリグモも爪が隠れるほどの末端毛束が
ある。ところが、ナカムラオニグモ、イオウイロハシリグモは爪が露出しており、毛はパラ
パラと生えている程度だったのだ。さて、ここまでは予想どおり。写真を撮ってもらったのは、
実はこの毛の密度を調べ、実際にガラスに接していた毛の本数を推測して、毛一本あたり
どれほどの体重を支えているのか、ということを試算してみたかったのだ。
タランチュラの成体の体重測定は、台所用測りで十分。35グラムであった。ところがハエトリ グモとなるとそうはいかない。1gもないのだから。そこで、クモゼミのメンバーで東京大学 教授の宮下直さんにお願いして、研究室の精密測りを使わせていただくこととした。クモを 大学に連れて行き、測定した結果は、ネコハエトリが24mg、タランチュラ幼体が530mg、であった。 体重にして、タランチュラ成体とハエトリでは、1500倍の開きがある。しかし、脚に生えている 毛の数は、電顕写真でぱっと見ても1500倍もタランチュラが多いようには見えない。そこで、 ガラス面に張り付いたタランチュラの脚裏画像を自分で撮り、接触面積を大体目算して、その 面積にあたる分の毛の本数を概数で写真から数えて求めてみた。ハエトリは、円筒上に毛がなら んでいてほぼ全てがガラス面に接すると考えられるので、その総数を目算で数えた。
こうして大雑把な計算をした結果が次のとおり。
これは、次の回のクモゼミにて報告した。簡単にいうと、毛一本で支える体重が、種類によって異なり、 ハエトリの場合0.02mg/本、タランチュラ幼体では0.3mg/本、タランチュラ成体では、2mg/本という 概算になった。つまりハエトリとタランチュラ成体では、毛一本あたり100倍の開きがあることになる。 タランチュラでは、毛が多いだけでなく、毛一本の支えうる荷重の大きさに特色がある、つまり 毛の表面構造がずっと優れたものになっている、ということが結論されたのだ。
なぜか、というのは面白い問いだ。
このタランチュラは、樹上性ではなく、一生を地中ないし地上で歩き回る種であって、垂直壁を 登ることはあまり考えられない。「滑り止め」の効用は、むしろ生きた獲物を捕らえて放さぬ 捕食のためではないか、というのが私の考えだ。タランチュラはムカデ、カエル、ネズミ、トカゲ など大きな獲物を捕らえることが知られている。野生下で直面するこれらの動物は、一歩間違え ば反撃してきて、クモの柔らかい腹部などに危害を与えかねない相手だ。捕獲には、一瞬にして 相手を押さえ込む術が要となる。クモ一般が毒を持っているといっても、タランチュラの毒は 体の大きさ(つまり餌の大きさ)に比べてさほど協力ではなく、一撃で相手を麻痺させるわけ ではない(アマガエルが大型のタランチュラに噛まれてまる一日生きていたのを見たことがあ る)。であれば、脚で相手を押さえ込んで放さない、というために足先の「滑り止め」が進化 したのではあるまいか。
この仮説でいくと、餌捕獲時に網と糸を使い、ちょくせつ脚で捕獲する必要のない造網性種の オニグモなどには毛束が発達しなかったのは当たり前だし、徘徊性でも、脚で相手を押さえ込む よりはいち早く牙でくわえ込み、むしろ脚は「バンザイ」姿勢をとることが多いハシリグモな どは、「滑り止め」脚を使わない捕獲法を取っているといえそうだ。他方、小型で徘徊性のハエトリ グモは、脚が比較的短く、体に比して大きな獲物を獲物を抱き込むには「滑り止め」脚が有効 になってきそうだ。葉の上を縦横に歩き回る必要は、ハエトリもハシリグモもあまり変わりが ないことを考えると、「歩行」以外の「滑り止め」の必要不要は、有力な説かもしれない。
とまぁ、何日もかけての努力のすえ、「スパイダーマン能力」のクモにおける真実へと、少しでも クモゼミはせまり、その一端がTVで紹介されて「クモはすごいぞ」という宣伝になることが 期待された。これで、灼熱のもとの撮影も報われるというものだ、と、わたしはひそかにタランチュラ たちにねぎらいの声をかけたりしていた。
・・・ところが。。。である。
実際の番組放映(5/12)を見て、クモゼミや他の同好会に集うクモ愛好家たちはあきれてしまった。 大いに期待をもたせた、番組側の要望による「実験」は、編集で全面カットとなっていたのだ。 もちろん、電顕写真もなし。
どうやら、もともとがハリウッド用の動物「使い」で名を売っている、カメラ慣れ(?)したアメリカの スティーブ・カッチャー氏と、その下僕のクモたちの取材後に、番組側の編集意図が変わったらしく、 クイズの問題は「タランチュラ操り術」。一人を除き全員正解の、まぁ誰でもわかりそうなネタ。 なら、はじめからそっちだけでやりゃぁいいのに、という作りだった。カッチャー氏がタランチュラ (扱っていたのはチリアンコモンという無論大人しい種)をどう紹介したか知らぬが、「大型の毒グモ」 という紹介は、私に関していえば、協力時の約束に違反。ちなみに、糸にぶらさがった クモを上下させる術のほうは、野外でクモを採ろうとしたことのある経験があれば、子供でも知って いるし、誰でもできる。上からつつけば下に降り、止まったところで下からつつけば上にあがる、 というだけのこと。
「これであなたもなれる。世界一のクモ使い(笑)」 ちゃんちゃん。
丸一日つきあったクモゼミの皆さんは、ほんとうにご苦労サマでした。急いで電顕写真を準備して くださった梅林さんにも、本当に感謝いたします。取材顛末を全くご存じない 視聴者の皆さんには、短く切り貼りされた映像にでも端々ににじみでたクモゼミ・メンバーの、 ただものではないクモへの執着と愛情を感じていただけただろうとは思いますので、その点だけは クモゼミ取材してもらってよかった点なのかなぁと、HP等に寄せられた感想を聞いて思いました。 とくに、和服姿で(本当の採集会のときはモンペに長靴スタイルで来られるんですが)クモ採集 される様子が写ったSさんは、とても印象的だったようですね。
私がどうしても腹が立ったのは、人間たちのために全くの無駄骨を折らされたクモたちに申し訳 なかったということです。実験自体は、TV局のためでなく、ゼミ自身のために検討作業をつづけた ために、一定の意味をもったわけですが、灼熱のライト下の繰り返しの撮影は何だったんだ、 と思います。こんなことと分かっていれば、愛するクモをカメラの前に立たせたりすべきでは なかった、と飼育者としての自分のクモに対する責任に、本当に心苦しく思いました。
最後に、番組のなかでクモゼミの谷川さんがコメントしていた一言を、「熱」演させられたうちの タランチュラに替わって、繰り返させていただきます。
納得しねぇよ! それは。