映画「The Internationale」(インターナショナル)
監督:ピーター・ミラー


さあ一同インターナショナルを歌いましょう。

(中国語)  起來 飢寒交迫的奴隸
(ロシア語) Весь мир голодных и рабов
(英語)   For justice thunders condemnation
(スペイン語)Guerra hasta el fin de la opresión 
(ドイツ語) Reinen Tisch mach mit den Bedrängern
       Heer der Sklaven, wachte auf
(英語)   The earth shall rise on new foundations
       We have been naught we shall be all
       'Tis the final conflict
(日本語)  ふるいたて いざ
(フランス語)L'Internationale
       Sera le genre humain

(ピート・シーガー フォーク歌手)
これが、元々フランス語の有名な社会主義歌謡、有名な革命歌の詞です。詞は、1871年の5月、パリ・コ
ンミューンの崩壊の頃に書かれました。一地区の区長に選出された40代の男性は、いまや逃亡中でした。
ユージン・ポーティエは地下に隠れながら、同月、6番までの長い詞を書き、全世界の労働に汗する者た
ちに、その主人をうち倒すことを呼びかけました。そして彼は、労働者たちがまもなくそのように立ち上
がるであろうことを、固く信じていたのです。
                   
数年後、詞は若い男のもとに届けられました。工場労働者であったピエール・ドゥジェテールが、地下に
あったオルガンを使って作曲をしました。この若い作曲家は、少なくともある分野におけるヒットソング
を生み出したわけです。

この曲は、フランスじゅうに広まり、ヨーロッパ全体に広まり、数十、数百の言語に翻訳されました。世
界中の社会主義者、共産主義者、アナーキストなど、あらゆる人々に歌われ、現在も歌われています。

(アンネット・ルーベンシュタイン 文学者)
インターナショナル、それは非常に興奮させられる歌、握り拳を掲げ、メーデーの大きなデモはもちろん、
あらゆる集会で最初と最後に歌われました。

(ビル・サスマン スペイン戦争義勇軍 元志願者)
この曲は、集会やデモ、たとえばメーデーで人々が行進する際に歌われました。初期のメーデーのデモを
みて、子供だった私は遠からずアメリカに社会主義が実現するであろうと信じました。私が初めていった
メーデーデモでは、約1万人がユニオンスクウェアを行進しました。二回目に行ったデモでは、二万人が
ユニオンスクウェアを行進していました。三回目には四万人がユニオンスクウェアを行進しました。それ
で、座って紙と鉛筆で計算してみて、一五年もすれば、合衆国全土の人が、この同じインターナショナル
を歌って行進することになるはずだ、と納得したのでした。

(ピート・シーガー)
1912年、マサチューセッツ州ローレンスのストライキでは、同時に様々な言語の労働者によって歌われま
した。IWWのヘイウッドに指導されたもので、アイルランド系、ドイツ系、ポーランド系、イタリア系
の労働者が団結して、皆がそれぞれの言語でこの歌を歌ったのです。

1917年、この歌は、ソビエト連邦の公式な国歌になりました。

(ウラジミール・ザク 音楽史家/ロシア)

もちろん、私は幼いころからこの歌を知っています。それは世界じゅうの歌のなかでロシアでは最もポピ
ュラーな歌でした。我々は、自らの地での革命のなかでこの曲を演奏し、父母たちが歌い、我々はさらに
ますますそれを繰り返し歌うように指導されたのです。

(イェホシュア・ザミール キブツ指導者/イスラエル)
初めて私がインターナショナルに出会ったのは、テルアビブの13歳の少年として、ハイファのメーデー
に行ったときでした。数千もの我々の運動のメンバーたちが市内を赤旗とプラカードを持って、歌いなが
ら行進しました。我々のキブツは搾取者と闘い、ストライキに加わり、インターナショナルを歌う機会が
あり、国の富を労働者が分かち合う祖国を建設することを願っていました。ですから、インターナショナ
ルは、ユダヤ人としての私に訴えかける歌でした。

(マリナ・フェレオ・ゴンザレス 脚本家/フィリピン)
この世に生まれ落ちるや、わたしはこの歌の歌詞を聞きました。子守歌のように歌われていたのです。わ
たしは赤ん坊でしたからブラームスの子守歌もインターナショナルも区別がつきません。何故か私はイン
ターナショナルのほうがブラームスの子守歌よりも好きでした。

わたしの父の名はワン・フィレオ。彼は教師で、農民にかわってしばしば地主に交渉をしていました。や
がて彼は、約6万人の農民が彼の話を聞き、苦悩を訴えてくる立場にいることになったのです。しかし父
はたった一人でした。そこで父は
インターナショナルを聞き、それをフィリピン語に翻訳することで、全ての人に、希望があり、この束縛
から解き放たれるための方法、農民を組織して声をあげる方法があるのだ、ということを知らしめようと
したのです。わたしはなぜ父が、この歌のために逮捕され、そしてついに殺されてしまったか、理解でき
ませんでした。

しかし、この歌は、水田で少年が水牛の背にのりながら、川を下りながら、歌っているのが聞かれました。
女性が洗濯をし、農民が刈り入れをしながら、歌うのでした。

(映画「ウンタマギルー」よりインターナショナル)

(ドロシー・レイ・ヒーリー 活動家/アメリカ)
わたしは学校を辞めて、サンノゼに労働者を組合に組織するために行きました。それは成功し、ストライ
キに入りましたが、警察の非常なテロで完全に弾圧されました。全ての集会は解散させられ、全てのデモ
は攻撃されました。そこでわたしは1934年にインペリアルバレーへ、レタス収穫の移民労働者を組織す
るのを手伝いに行き、逮捕され、180日をインペリアルバレー監獄で過ごしました。その期間を過ごし
た一つの方法は、獄中の囚人に闘争歌の歌い方を教えることでした。

ストライキをしたのは、メキシコ革命のなか育った世代でしたから、ストライキ労働者も女性の囚人も、
スペイン語のインターナショナルを知っていたのです。それは、まさに、言語と国の壁を超えた瞬時の対
話と共有の方法となり、この歌が世界の全ての国を結びつけたのです。

「飢えた数千の人々 失業危機の下 配給の列に ニューヨーク市」

(ビル・サスマン)
あらゆる場所で人々は大恐慌の被害を受けており、全ての国に本当の飢餓がありました。ドイツなどの国
ぐにではファシズムが起こりました。それは、残虐な軍隊の支配下で、デマゴギーに基づくことで、ドイ
ツだけでない他の国のファシスト分子を基盤に成立したのでした。スペインも同じでした。軍隊は、共和
国政府打倒を呼びかけ、クーデターを起こしました。

40以上の国々から市民義勇軍がスペインに集まりました。男女が武器を取り、ファシストと闘おうとし
ました。それはファシズムの歴史上、初めてのできごとでした。アメリカでは「我々はどうなのだ。我々
もスペインへ行こうではないか」の声が挙がりました。私はスペインの闘いの外に身を置くことはできま
せんでした。参戦し、負傷した結果、病院に運ばれました。

病院では、エンターテイメントとして、技能のある者たちがフラメンコを踊って見せたりしました。それ
もつきてしまった頃のある日、我々全員が舞台に挙げられ、順に自分の言語でインターナショナルを歌わ
せたのです。40言語以上が舞台で歌われました。一人ずつ数単語を自分の言語で歌い、次の言語へと、
一晩中歌ったのです。そして最後にそれぞれが自分の言葉で全員で同時に合唱しました。ですから、われ
われはこの歌をジャワ語、タミール語、ヒンディー語、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイ
ン語、と、思い浮かぶ限りの言語で聞いたのです。イディッシュ語(東欧ユダヤ人の言語)でも歌われま
した。
「奴隷であった者たちよ、立ち上がれ・・・」

(アーチー・グリーン 音楽学者)
少なくとも1920年代までは、アナーキスト、社会主義者、共産主義者、その他の労働組合主義者が、イ
ンターナショナルを歌いました。ところがある時点で、映画、そしてやがてテレビが、モスクワの赤軍の
パレードを見せ始めたのでした。私の考えでは、インターナショナルは、当初の一般的なラディカルの歌
としての性格を失い、ある意味「ソビエトの歌」になったのです。赤の広場の戦車の上の兵士、レーニン
廟や偉大な父スターリンの前に立つ人々にとっては、インターナショナルは確かに鼓舞させる曲だったで
しょう。しかし、非共産主義者にとって、インターナショナルは、込められた意味が歪められつつありま
した。

(ピート・シーガー)
何かを公式にしてしまうことの一つの問題は、それを禁ずることよりも悪いのですが、その形式を歪めて
しまいがちなことです。この歌は、はじめは元気強く歌われていたのが、だんだんゆっくりとした浪々た
るものに変えられました。エスタブリッシュメントな楽曲の形式になってしまったのです。

(モーリス。ジャクソン 歴史家/ジャマイカ)
私がかつて、共産党の中央委員会にいたときのことです。あるメンバーが、ジャマイカ・レゲエ・バージ
ョンのインターナショナルを持ってきたのです。ボブマーレーやジミークリフ式のビートです。

わたしは率直にいって好きでした。けれど覚えているのは、年輩の同志たちはどうしてこの曲がこんな目
にあうのか、理解できないようでした。

(アーチー・グリーン)
インターナショナルという歌自身の内に、歌詞の内容に基づく、大きな緊張があります。ポーティエが書
いたフランス語歌詞では、大意「もはや伝統の鎖に縛られまい」とあります。その意味は、労働者が資本
主義や帝国主義を打倒するのは、過去の伝統や過去の宗教を取り去って白紙に返し、男女が新たな夜明け、
赤い夜明けを迎える、という考え方でした。しかし興味深いことに、ある種の伝統を信じていなければ、
人は共同で行動し、情熱をもって機能すること
はできないのです。

(ドロシー・レイ・ヒーリー)
わたしはこの歌詞に両義的なものを感じます。一方では、この歌の鼓舞する呼びかけ、闘い、挑戦に、若
い頃と同様に情緒的に感動します。他方、この歌詞には「もはや伝統の鎖に縛られまい」という部分があ
り、皮肉なことに、運動の一つの問題が、伝統が私たちを縛ったということだったのです。余りにもしば
しば、「今までいつもそうだったから」という単純な理由で、考え方が受け入れられ、問い直されなかっ
たのです。

(語り手によるメドレー)
(英語)    Arise ye prisoners of starvation
(中国語)   起来,全世界受苦的人
(ロシア語)  Кипит наш раэум воэмущенный
        И в смертный бой вести готов.
(ヘブライ語) Olam yashan adei hayi'sod nachriva
(フィリピン語)Tayong api ay magbalikwas
(スペイン語) El mundo va a cambier de base. 
(英語)    You have been naught you shall be all
        'Tis the final conflict      
(フランス語) Groupons-nous et demain, 
        L'internationale, 
(英語)    Unites the human race !

(イェホシュア・ザミール)
「これが最後の闘い」、この戦争で最後、という語句は、あまりに多くの人々が今までに望み、しかし実
現されていないことでした。この歌を何度も歌うたびに、わたしは心から、もう戦争のない時代を望みま
す。おそらく若いときには深く考えることなく歌っていたのです。

(ウラジミール・ザク)
この歌は、我々がこの歌詞の内容を信じていた私の子供のころを思い起こさせます。子供のころを思い起
こすことが、その人を理解するためには大切です。心にとって大切なのです。それで、インターナショナ
ルを聞くと、繰り返しその美しいメロディーを感じるとともに、悲劇も感じるのです。それは、共産主義
者だった父の悲劇です。若いとき父はそれを信じていました。しかし、その物語は、偽りの物語に終わっ
たのです。父は、それを私に話してくれました。ですから、インターナショナルを聞くと、私の思いは大
変複雑です。私は子供のころを思い起こすとともに、我々の生涯続いた悲劇をも思うのです。

(イェホシュア・ザミール)
悲劇とは、インターナショナルを歌った人々が1936年のスペイン戦争に行き、多くが命を失ったことで
す。
悲劇とは、ロシア/ソビエト連邦の権力についた人々が、大義のために命を捨てた人々にはふさわしくな
かったということです。
世界の若い人々に伝えるのはほとんど不可能な使命かもしれませんが、かつて世界中の労働者が、互いに
手をさしのべあい、共によりよい世界のために働くことができると本当に信じていた時があったのです。

(ジェフ・レイチェル DSAアメリカ民主社会党)
初めてこの歌を聴いたとき、僕は「これは古くさい。まるでグループソングじゃないか」というのが第一
印象でした。二度目に聞いて、歌詞が分かり、意味と思想を知りました。今は、これを聞くと50の異な
るイメージが頭に浮かびます。スペイン戦争でファシストと闘ったアブラハム・リンカーン部隊を思い浮
かべ、あるいはチアパス人民を、あるいは正義のために闘うバージニアの、あるいはその他の地域の人々
を思います。この歌は力をくれるし、以前の世代や他の国々の兄弟姉妹とつながっているという感覚を持
たせてくれます。

(リー・ルー 天安門学生リーダー/中国)
天安門広場でインターナショナルを歌った学生の誰も、共産主義や社会主義のことを考えてはいなかった
と思います。私が思うに、我々は自分たちが、より大きな予言的な人類の成熟に向けた運動の一部なのだ
ということを確認するために、歌っているのです。
わたしはインターナショナルの歌詞に注意をはらったことはありません。しかし、そのメロディーは常に
私に特別な気分を起こさせました。長い間それは何なのか考えてきましたが、いま分かる気がします。そ
れは、儒教倫理である伝統的中国思想の中核と、信じるもののために闘うというの信念、そして必要なら
ば命を賭け、犠牲は歴史によって報われるという考えかたをとらえたのだと。

(ビリー・ブラッグス 音楽家/英国)
私は、1989年の天安門事件直後のバンクーバーフォーク祭でピート・シーガーに勧められて、インターナ
ショナルの新しい歌詞を書くことにしました。我々はみな、中国人がインターナショナルを天安門で歌っ
たのを知っていて、インターナショナルをフォーク祭で歌いたかったのです。そこで私はピートに言いま
した。英国の歌詞はまた異なり、しかもとても古風なのです。

これはたしかに非常に古い歌です。そして国家体制としての共産主義の重荷を負わされてきました。私は
人々に対して、捨てるべきはその重荷であって、この歌の実際の精神ではない、と訴えました。それで、
あといくつか歌詞を書いてみたのです。

「たて 抑圧の犠牲者よ 暴君はあなたたちの力を恐れるのだから
 持てるものにしがみついてはならない 人権がなければ何も持っていないに等しいのだから
 人種主義者の無知に終わりを告げよ 尊敬こそが帝国を崩壊させるから
 全ての人々に享受されないかぎり 自由とは与えられた特権にすぎない・・・」

我々はポスト・マルクス主義的な意味で、社会主義・共産主義がこの時代にどんな意味をもつのかを再定
義するという、興味深い政治的な位置にいます。古い文化を再評価するというのは重要だと思うのです。
インターナショナルはいまもっていわば偶像のような意味をもっていますが、おそらく偶像であることを
取り去って、新しいものを込め、21世紀に引き継ぐことができるかを見るべきときではないでしょうか。

「・・・いざ兄弟姉妹よ 来たれ 闘いは続く
 インターナショナルが 世界を歌でひとつにする
 いざ同志よ 来たり集え
 ここがその時と場所だ
 インターナショナルな理想が 人類をひとつにする」

(ドロシー・レイ・ヒーリー)
わたしたちがしなければいけないのは、今日の世界を見渡し、あらゆるところで経済が破綻し、闘いは終
わっていないということを知ることです。闘いのかたちは、正義のための熾烈なものとして続くでしょう。
その闘いがある限り、わたしの最大の夢は、人による人の搾取が終わり、人の人に対する非人道が無くな
り、抑圧がなくなることです。そして美しき夢なくしては、人生は憂鬱でしょう。世界中の運動が再び立
ち上がり、我々は人の搾取を許さぬ世界を打ち立てる、という夢は、間違いなく価値のあるものです。

(ピート・シーガー)
世界がここにある限り、百年後にあるかどうかは分かりませんが、ある限りは、この歌はその世界の一部
なのです。多くの民族による一つの世界を作るという社会主義の夢は、なんらかのかたちで私たちが成し
遂げねばならないのです。

(シェフィールド・ソーシャリスト合唱団によるビリー・ブラッグス版合唱)

(エンディングタイトル曲)